主の独り言

2019.12.06

トレーニング安曇野2019

恒例のトレーニングに来た。場所はいつもの安曇野。

毎年、自分の成長を観察する為にメルクマールにしているトレーニングだ。

やる事は、毎度の事自分自身を見つめる事。
禅の修行の様なものだが、それを主催者の師匠が
あの手この手で僕らの防衛を緩め、己と逢いやすい環境を作ってくれる。

だから安心してこの場だけは心を開示する事に集中することができる。

しかし、この手のトレーニングは危険も伴う。
抑えつけていた怒りという攻撃性がアクティングアウトする事もあるからだ。
前触れなく急にアクティングアウトする受講生を先生と僕らは巧みに最後まで感情を出し切るお手伝いをする。

世の中には、にわか知識で心を扱い、アクティングアウトする受講生を対応できずオロオロし、しまいには救急車を呼ぶと言うセミナー講師がいる様だが驚きである。

人の心は、学べば学ぶほど簡単に扱ってはいけない領域なのである事を痛切に感じている。出来てもやらない。僕はこの姿勢で社員とも面接をする。こじ開けようとなど絶対にしてはならないのである。

今回も無明を知る3日間を過ごした。

玉ねぎの皮の様に自我は何層にも覆われている。
毎年毎年一枚ずつ剥がし、知らない自分に出会い続けている。

そして、自分を観る事でコントロール権を無意識から少しずつ勝ち取って行く。それが平穏な日常を過ごす最適解だと僕は信じている。

何も起こらない日常こそ実力である
そう感じている。

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