主の独り言

2019.07.02

再視聴 たかが世界の終わり グザヴィエ・ドラン

哲学的テーマである、“届かない手紙”。
このテーマの作品は驚くほど多い。

個人的に誤配と共に好きなテーマである。

そして、今回“届かない手紙”をテーマに2本の映画を見た。
そのうちの1本が、2年前にブルーレイで見た“たかが世界の終わり”。
天才ドランの映画である。

映画の感想は、前回視聴時にブログに記載しているので、割愛するが、
テーマである“届かない手紙”という視点で再視聴すると
前回見えなかったドランの世界が見えてくる。

確かに、手紙は届かない。
映像上は手紙が届いている事実は無い。

しかし、
主人公の兄や、母、そして妹
この主人公の家族3名にはちゃんと届いているんだと僕は感じた。

今回、主人公では無く兄の視点で見られたことは大きかった。
クレージーの兄。
しかし、兄はあのようにクレージーに振る舞うことで、
ギリギリの幸せを守る役を担っていたと僕は感じた。

あの家族はあれで良かった。
実生活でも、手紙がちゃんと届くことは少ない。
夫婦間でもそう。兄弟間でもそう。
会社内でも当然そう。

手紙は届かないケースが多い。
しかし、届いていないように見えても
何かしらの形で届くことも多いとも思う。

届かない手紙。

このテーマの映画は
やはり素晴らしく興味深い感覚を
僕に与えてくれる。

追伸
繰り広げられる家族間の心理ゲーム。
この監督は、この若さでここまで表現出来る事は信じられない。
天才と凡人の差を痛感するのだった。

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