お知らせ
2026.04.27
〜蓼科 親湯温泉よりお届けする今月の1冊 『守の家』〜

『守の家』 伊藤左千夫
「お松はなかなか自分を背から降ろさないで、どこまでもおぶって来る。もうどうしてもここでとおもう処で、自分をおろしたお松は、もうこらえかねて「坊さんわたしがきっと逢いにゆくからね」と自分の肩へ顔をあてて泣いた。自分もお松へ取りついて泣いた。」
アララギ派の歌人としても知られる伊藤左千夫は、蓼科に魅せられ、アララギ派の歌人たちを連れて何度となく蓼科を訪れました。蓼科 親湯温泉でも歌会が行われ、そこで数々の名作を生み出してきました。


《伊藤左千夫をイメージした客室》
『野菊の墓』は伊藤左千夫が初めて書いた小説です。15歳の少年・斎藤政夫と2歳年上の従姉・戸村民子との淡い恋を描いた物語で、夏目漱石から「あんな小説なら何百編よんでもよろしい」と賞賛されました。また、この作品は、伊藤左千夫本人の実体験がモデルとなっているともいわれています。結婚を望んだものの周囲の反対により結ばれることがなかった女性がおり、その後、女性が若くして亡くなってしまったという経験は、後の左千夫にも大きな影響を与えたと考えられます。
『守の家』は、明治45年(1912年)に『アララギ』に発表された作品です。主人公が4、5歳のころ、お守り役として来ていた16歳のお松との交流を描いたもので、お松への想いを懐かしく語っています。けれども主人公がお松の家を訪れて以来、会うことはなくなり、人づてにお松は酒呑で乱暴な船乗りの妻となり、心を病んで亡くなったと聞かされます。
近親者との恋愛や身分の違いを超えた結婚が難しかった時代における、従姉同士の淡い恋、幼い少年とお守との心の交流。また、ヒロインが嫁ぎ先で亡くなるという共通点があることから、『守の家』は『野菊の墓』の原形だといわれています。
