お知らせ

〜蓼科 親湯温泉 温泉のおはなし01〜

大自然の息吹を感じながら天然の湯に浸かり、心と体を癒す。都会の喧騒を忘れてゆったりと過ごす休日は、日々の疲れを取り除き、また新たな活力を蓄えることができます。蓼科への旅は、温泉が目的という人も多いのではないでしょうか。今回は温泉のおはなしです。親湯温泉のいわれや効能、蓼科 親湯温泉のお風呂の特長やこだわりなど、温泉についてのあれこれを紹介します。

蓼科の温泉は平安時代、坂上田村麻呂によって源泉が発見されたと伝承されています。中でも蓼科 親湯温泉で楽しめる親湯温泉はさまざまな効能があり、武田信玄の隠し湯としても知られる名湯です。隠し湯とは、土地の領主が独占的に使用していた温泉のこと。武田信玄の隠し湯が最も有名で関東甲信越にわたって30以上もあるといわれています。

武田信玄と上杉謙信 画像提供:(公財)ながの観光コンベンションビューロー様

武田といえば甲斐国(山梨県)ですが、信玄が主となってからは、信濃国(長野県)へと勢力を拡大し、その勢いは越後国(新潟県)にも迫り、川中島の合戦では上杉謙信と死闘を繰り広げました。そして信玄が亡くなるまでに武田は、上野国(群馬県)、駿河国(静岡県の一部)、遠江国(静岡県)、三河国(愛知県)などにもおよぶ大国となり、各地に隠し湯を持ったと伝えられています。

戦国時代において武田の大進撃を支えたのが、戦国時代最強といわれる武田兵の活躍でした。信玄は兵のために戦いに医者を同行させ、さらには、各地に隠し湯を持って負傷した兵の傷を癒していたといいます。その場所は人里離れた場所にあり、大切な兵を守るためにも軍事機密とされていましたが、現代になってから隠し湯があったことが公表されるようになりました。一時は天下の名湯、草津温泉までも3か月間独占したほど、効能の高い温泉を探し求めた信玄。このことからも信玄が温泉にこだわり、隠し湯がいかに上質な温泉であることがわかるでしょう。

信玄の棒道 画像提供:茅野市観光協会様

親湯温泉は、信玄が信濃攻略の際に見つけられた温泉です。当時八ヶ岳山麓に作られた軍用道路「棒道」を兵が行き来していましたが、傷ついた兵が山中にある温泉に入ったところ、たちまちその傷が治ったといわれます。それは、切り傷やすり傷に効果がある温泉の効能だけでなく、温泉で体を温めることで血流がよくなり免疫力が上がって傷が治りやすくなっていたためと考えられています。川中島の合戦などで負傷した兵もここで傷を癒し、鋭気を養っていたのではないでしょうか。その後、親湯温泉は戦時中になると帝国海軍の療養しせつとなり、傷を負った多くの兵士が滞在しました。

効能あらたかな武田信玄の隠し湯が楽しめる蓼科 親湯温泉。信玄の温泉へのこだわりを知ると、また違った楽しみ方ができるのではないでしょうか。

→次回は、温泉の種類や親湯温泉の効能ついてご紹介します。

Category

Archive