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〜蓼科 親湯温泉 蓼科倶楽部のおはなし02〜

「蓼科倶楽部」には意匠の異なる10つのお部屋がありますが、今回紹介するのは高浜虚子、島木赤彦、土屋文明をイメージしたお部屋です。これらは大正時代の和洋折衷をイメージしたスイート。チェストやコンソールテーブルに置かれた彼らの本を手に取り、ページをめくればぐっとその世界へと引き込まれていくでしょう。

高浜虚子スイート

高浜虚子は、明治から昭和にかけて活躍した俳人、小説家です。同郷(愛媛県松山市)の正岡子規に師事し、俳号は子規によって本名の清から虚子と名付けられました。明治30年(1897年)に子規の親友である柳原極堂が愛媛県松山市で俳句雑誌『ホトトギス』を創刊。翌年には、東京に移された発行所を虚子らが引き継ぎました。主観を入れずにありのままを表現する「客観写生」、人間を含む自然界における季節の移り変わりをそのまま詠う「花鳥諷詠」を提唱。この理念に基づき、たくさんの俳人を育成・輩出しました。また、第二次世界大戦中には長野県小諸市年ほど疎開するなど、長野県にも深い縁があります。

「高浜虚子スイート」は、ブルーグリーンの壁紙にシノワズリの絵柄が映える、明るく落ち着いた雰囲気のお部屋です。コンソールテーブルを配した入口周りには壁紙アートの額装が華を添え、四季に彩られた自然の美しさを感じることができるでしょう。

島木赤彦スイート

島木赤彦は、明治大正時代の歌人です。生誕地である長野県諏訪市の小学校教師のかたわら短歌雑誌『比牟呂』を創刊し、太田水穂と合著で詩歌集『山上湖上』を刊行しました。伊藤左千夫に師事し、『アララギ』が創刊されると『比牟呂』も合併し、以来左千夫門下の歌人として活躍。中村憲吉と共著の処女歌集『馬鈴薯の花』は注目され、『アララギ』の名前も広く知られるようになりました。左千夫の没後は上京して、斎藤茂吉らと『アララギ』を編集。正岡子規の「写生」を継承しつつ、「鍛錬道」を作歌の基本として、数々の格調高い作品を残しています。

島木赤彦スイートは、美しいブルーグレーの壁紙に南方の鳥が描かれたアーティスティックなお部屋です。入り口には李朝の家具を再現したチェストを配し、鳥かごとフラワーアレンジメントが壁紙アートをノーブルに仕上げています。

土屋文明スイート

土屋文明は、大正昭和期の歌人です。現在の群馬県高崎市の貧しい農家に生まれながら、旧制高崎中学時代から俳句や短歌を投稿し、卒業後は伊藤左千夫を頼って上京。最年少で『アララギ』に参加し、左千夫の勧めより第一高等学校文科、東京帝国大学哲学科を卒業しました。島木赤彦に紹介された諏訪高等女学校などで教鞭をとりながら作歌活動を続け、大正14年(1925年)に処女歌集『ふゆくさ』を刊行。『アララギ』の中心歌人として活躍し、斎藤茂吉を引き継いで編集発行人になりました。また、「写生」に即物的な傾向を加えた「文明調」を確立していきました。

土屋文明スイートは、個性的な黄土色の壁紙とシノワズリの図柄が印象的なお部屋です。李朝の家具を再現したチェスト、ランプとフラワーアレンジメントで、かつて西洋人が憧れた東洋の姿を表現しています。モダンな雰囲気は、歌壇に新風を与え続けた文明の作品を投影しています。

→次回は、蓼科 親湯温泉の「蓼科倶楽部」斉藤茂吉、小堀杏奴、幸田文のスイートについてご紹介します。

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