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〜蓼科 親湯温泉 蓼科倶楽部のおはなし01〜

古くから歌人や文人が多く訪れた蓼科 親湯温泉。その歴史を映し出すように、館内では、ゆかりのあった文化人についての展示を行い、Library Loungeと3万冊の蔵書で、訪れる人たちを魅了します。中でも、「蓼科倶楽部」は、蓼科 親湯温泉と交流があり、宿泊したことのある文人たちをイメージして作った特別なお部屋です。短歌雑誌のアララギ、伊藤左千夫、斎藤茂吉、高浜虚子、島木赤彦、土屋文明、斉藤茂吉、小堀杏奴、幸田文、太宰治、柳原百蓮という名前を冠したお部屋は、それぞれの文学の世界をたっぷりと楽しめるように、各人の個性、作風などを考慮しながら造られました。壁紙やフラワーアレンジメントでは、各人のイメージをシノワズリで表現。日本の伝統的な建具や西洋の家具を取り入れ、大正期のモダンな雰囲気を再現しています。

アララギスイート

『アララギ』とは、明治41年(1908年)に伊藤左千夫らが創刊した短歌雑誌のこと。また、『アララギ』で活躍した歌人たちはアララギ派と呼ばれ、万葉集の歌に見られる感情を素直に表現するおおらかな歌風や調べを尊重し、近代短歌の発展に貢献しました。

アララギ派の歌人たちが蓼科 親湯温泉に集まったのは、茅野市湯川出身であるアララギ派の歌人、篠原志都児(しずこ)が師匠である伊藤左千夫を連れて蓼科 親湯温泉に訪れたことがきっかけとなっています。以来、この地で歌会が開催され、さまざまな俳句、短歌が生まれました。そして、蓼科は多くの人々の憧れの地となりました。

「アララギスイート」は、伊藤左千夫、土屋文明、島木赤彦、斉藤茂吉、篠原志都児等の詩歌の掛け軸、伊藤左千夫の詠んだ『蓼科山歌』を飾り、蓼科 親湯温泉がアララギ派の句会の場であったことを今に伝えるお部屋です。大正期のモダンなサロンをイメージさせる空間からは、文人たちが心を通わせ、熱く語り合う様子が聞こえてきそうです。

伊藤左千夫スイート

伊藤左千夫は、明治期に活躍した歌人、小説家です。万葉調を尊重する正岡子規に師事し、根岸短歌会の中心歌人として活躍した後、明治36年(1903年)『馬酔木(あしび)』を、明治41年(1908年)には『アララギ』を創刊しました。『アララギ』では中心的立場となって基盤を作り、斉藤茂吉や土屋文明といった後進を育成。明治39年(1906)に発表された小説『野菊の墓』は、後に映画やテレビドラマとしても放映され、多くの人に知られています。明治42年(1909年)には蓼科 親湯温泉で『蓼科山歌』を詠みました。

「伊藤左千夫スイート」は、『アララギ』の重鎮であったことを象徴するお部屋です。ゴールドベースの華やかな壁紙とブルー&ホワイトの陶磁器でデコレーションした東洋的な洋室で、畳の小上がりにはアンティークの文机を配置し、その机で伊藤左千夫自身が執筆していたかのような空気感を演出。お部屋に置かれた全集を広げ、伊藤左千夫が愛した蓼科を見つけるのも楽しみの一つです。

→次回は、蓼科 親湯温泉の「蓼科倶楽部」高浜虚子、島木赤彦、土屋文明のスイートについてご紹介します。

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