たかが世界の終わり グザヴィエ・ドラン

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視聴後、頭に浮かんだのは、フロムの言葉だ。

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人間が自由になればなるほど、
そしてまた彼がますます“個人”になればなるほど、
人間に残された道は、愛や生産的な仕事の自発性の中で外界と結ばれるか、
出来なければ、自由や個人的自我の破戒するような絆によって
一種の安定感を求めるか、どちらかだという事である。
自由からの逃走 エーリッヒ・フロム
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そして、僕が感じたのは上記の後者の方である。
以下に、映画で感じたことを少し書きたいと思う。

 

家を出て人気作家になった次男(主人公)が12年ぶりに帰省。
自分のもうじき訪れる死を告げるため。

待っていたのは、
家を守って来た兄。
初めて会う長男の嫁。
やさぐれているが次男に憧れる妹。
そして母。

それぞれの思いが12年の時を埋めようと食卓でぶつかる。

ハッピーエンドな結末では無い。
次男は目的の死ぬことすら告げられない。

それぞれが、現実に向き合う事に恐怖している。

誰もが家族を愛している。
しかし愛し方のやり方がことごとく違う。
ボタンのかけ間違いの連続。
そして、そのボタンは正しい位置には戻らない。

決して人ごとでは無い。
どんな家庭にも大なり小なりある事。

新進気鋭の監督が
役者の表情で物語らせる
渾身の演出。

僕に取って記憶に残る名作になった。

追記
父親の出し方が非常にクールだった。
失踪したのか死んだのかさえも分からない。
多分失踪したんだと僕は感じた。

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