主の独り言
2015.03.05
無明と相対的剥奪
仏教では無明という言葉がある。
ここ数年僕も意図して気にしている。
気にしているという所がそもそも無明なのだ。
そんなグルグルと回る思考の中、
14年前の日記を読んだ。
すると・・・
“当時より少ない”
こんな事を率直に感じた。
当時の僕は、相対的剥奪の感を
強く強く人生に感じていた。
相対的剥奪とは、極々簡単に言うと
“隣の芝生は青く見える”である。
社会科学で有名なマートンの理論だ。
それが、日記を読んでみると
ずいぶんと解消されている。
これが、身体の反応の違いから
僕の事実としてわかった事である。
発達心理学では、
人生の構造はどんな生まれの人でも
同じである事を示している。
人生のそれぞれの段階での課題に
逃げずに、それなりにと言うか
ぼろぼろに打たれながらも
何とか、乗り越えて来たんだと言うことが
日記の内容の趨勢を見る事で
改めてわかった。
無明という闇は、闇という存在では無く
“光が当たっていないだけ”
と仏教では説く。
その光とは“智恵”であり、
多くの先達が世界中で残している。
この智恵を利用し、
無明を少なくしていく。
これからも、こんな事を意図して
取り組んでいきたい。