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〜縄文の里のおはなし02〜

貝塚・古墳・集落跡など、過去の人々の生活や活動を今に伝える遺跡。日本にはさまざまな遺跡がありますが、文化財保護法では、遺跡の中でも特に歴史的・学術的価値が高いと認められ、保護が必要なものは史跡に指定されます。その指定は、文部科学大臣が行い、国からの指定がもれたものは地方公共団体が認定。さらに、史跡の中でも学術上の価値が特に高く、日本の文化の象徴として保存と活用が必要なものは、「特別史跡」に指定されています。茅野市には237もの縄文時代の遺跡があり、さらに特別史跡、史跡として保存されている遺跡もあります。今回は、茅野市にある遺跡を紹介し、人々の暮らしの様子を紹介します。

◆特別史跡 尖石石器時代遺跡
尖石は、茅野市豊平に位置する縄文時代中期(約5000年前~約4000年前)の環状集落の遺跡です。明治時代には、すでにその存在が知られていましたが、発掘が始まったのは昭和5年(1930年)のことです。当時小学校教師だった宮坂英弌(ふさかず)が単独で発掘を始め、炉跡を発掘したのがはじまりでした。そして昭和15年(1940年)には縄文集落の研究を目的とした本格的な発掘を開始。さらに昭和21年(1946年)には、縄文時代のムラ全体を発掘する目的でこれまで手付かずだった与助尾根の発掘に着手しました。
その結果、尖石では竪穴建物跡をはじめ、炉跡や列石、竪穴群、屋外埋甕などを発掘。また、与助尾根でも、建物、石鏃、打製石斧、破片、磨製石斧、石皿、凹石などが発掘されました。また、東西170m・南北90mの範囲をU字形に巡り中央に広場がある集落遺跡が発掘され、縄文時代の環状集落の存在が日本で初めて確認されました。

現在、約220軒の住居址が確認され、八ヶ岳山麓で最大級の集落であったことが分かっています。
八ヶ岳山麓は標高ごとにさまざまな動植物が生息する食料の宝庫でした。そして、当時の人々は、春は山菜、夏は川に生息する魚介類、秋はキノコや木の実、冬はシカやイノシシ、ノウサギといった野生生物など、四季によって獲られるものを知り、智恵や工夫を積み重ねながら暮らしていたことがわかります。定住生活が始まり、大型の集落を形成するようになったのもこの頃です。また、狩猟や採集以外にも、焼畑農業が始まっていたのではないかともいわれています。

昭和17年(1942年)10月14日、国の史跡に指定。さらに「縄文集落研究の原点」とされる重要な遺跡と位置づけられ、昭和27年(1952年)3月29日には文化財保護法に基づき特別史跡に指定されました。平成5年(1993年)には与助尾根遺跡の区域が特別史跡に追加指定されました。
→次回もは茅野市にある遺跡をご紹介します。