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お知らせ

2026.03.28

〜蓼科 親湯温泉よりお届けする今月の1冊『破戒』〜


『破戒』島崎藤村

「眼前には蓼科、八つが嶽、保福寺、又は御射山、和田、大門などの山々が連つて、其山腹に横はる大傾斜の眺望は西東に展けて居た。青白く光る谷底に、遠く流れて行くは千曲川の水。丑松は少年の時代から感化を享けた自然のこと、土地の案内にも委しいところからして、一々指差して語り聞かせる。」

『破戒』は、明治から昭和にかけて活躍した小説家、島崎藤村が、明治38年(1905年)に寄稿し、翌年に「緑蔭叢書」の第1編として自費出版された作品です。舞台は、長野県小諸。執筆当時、藤村は英語教師として小諸に赴任していました。

藤村が小諸で暮らしていたのは、明治32年(1899年)から明治38年(1905年)のことでした。その間に、千曲川一帯の自然や人々の暮らしを見事に描写した写生文「千曲川のスケッチ」を書き、藤村が小説に転向した最初の作品である『破戒』を生み出しました。

『破戒』は、被差別部落民出身の小学校教師が近代的自我に目ざめ、ついに父の戒めを破りその出生を告白するまでの苦悩を描いた作品です。誰よりも早く自我に目覚めた者の悲しみという藤村自身の苦悩を主人公に重ねながら、社会的なテーマを追求しています。この作品を寄稿したことにより、藤村は作家としての地位を確立し、日本自然主義文学運動が発足されました。

小諸は、南に蓼科山、北に浅間山、そして天気のよい日には遠く富士山も望む素晴らしい場所です。蓼科山麓というと茅野側というイメージがありますが、小諸側も裾野が広がり、蓼科牧場、女神湖(赤沼平)、御泉水などが点在していました。藤村が小諸にいた明治30年代は、茅野側が観光地として十分に整備されておらず、藤村が実際に蓼科山に登ったり、蓼科を訪れたという記録はありません。けれども、蓼科山を含む信州の山々に囲まれたここでの暮らしが後の藤村の作品にも大きく影響しているといわれています。

蓼科牧場から見た蓼科山

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