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〜縄文の里のおはなし04〜

長野県茅野市には、特別史跡の尖石石器時代遺跡、史跡の上之段石器時代遺跡と駒形遺跡をはじめ、348の遺跡が登録されています。そのうちの237は縄文時代のもので、茅野市は縄文の里として、全国的にその名を知られています。今回は、世紀の大発掘の舞台となった、2つの遺跡をご紹介します。

写真提供:茅野市尖石縄文考古館

◆棚畑遺跡

霧ヶ峰山塊の南麓に広がる台地にある縄文集落。昭和61年(1986年)、米沢埴原田の工業団地の造成に伴い発掘された最大規模の遺跡です。縄文時代前期から江戸時代までの生活の跡が見つけられたといわれ、縄文時代の住居址は149か所あります。そのうち146の住居址は縄文時代中期(約4000年~約5000年前)のもので、黒曜石流通の交易・交流の拠点として繁栄した集落があったと考えられています。集落は、お祭りなどに使う広場を中心にして環状または弧状に住居が並ぶ環状集落でした。また、ここから出土された縄文土器は600点にものぼり完全復元されました。

「縄文のビーナス」が発掘されたのは、その年の9月8日のこと。南側集落の中央広場にあった500号土坑からほぼ完全な形で出土しました。高さは27cm、重さは2.14kg、安定した立像形で、粘土に細かい雲母片が練りこまれ、肌が金色に輝いているように見えます。

八ヶ岳山麓の土偶の特徴と造形美をもつこと、当時の精神文化を伝える貴重な学術資料であることから、平成7年(1995年)に国宝に指定されました。

現在、「縄文のビーナス」が出土された場所には、石碑と解説板が立ち、当時の様子を今に伝えます。

写真提供:茅野市尖石縄文考古館

◆中ッ原遺跡

八ヶ岳の北西麓、東西320m、南北100mの細長い尾根状台地に広がる遺跡。古くから知られた遺跡で、大正13年(1924年)に発行された諏訪史第1巻にも紹介されています。遺跡の全貌が明らかにされたのは、平成4年(1992年)から13年(2001年)に行われた発掘調査でのこと。竪穴住居址が200軒以上、柱穴・墓穴・黒曜石の貯蔵跡などが3,300も発掘されたほか、大量の土器や石器、土坑からはヒスイやコハクも出土しました。その規模、出土品などから、八ヶ岳西麓の中でも拠点的な存在だったのではないかといわれています。

平成12年(2000年)8月23日には、遺跡のほぼ中央にあるお墓と考えられる場所で、土偶「仮面の女神」がほぼ完存する状態で出土されました。これは、今から約4000年前の縄文時代後期前半に作られたもので、高さ34cm、重さ2.7kg、顔に仮面をつけたような姿をしています。その美しさや大きさ、墓の副葬品であることから注目され、平成26年(2014年)8月21日に、同じように墓穴から出土した土器8点とともに、国宝指定されました。

現在、中ッ原遺跡は中ッ原縄文公園として整備され、「仮面の女神」が出土した墓穴など、遺跡の一部は保存されています。

現在、国宝土偶である「縄文のビーナス」と「仮面の女神」は、茅野市尖石縄文考古館で展示されています。茅野市尖石縄文考古館では、市内各地の遺跡から出土した土師器、須恵器、古墳の副葬品、石器、土製品などを中心に考古学資料約3000点を収蔵。ロマンあふれる縄文文化をたっぷりと楽しむことができます。

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