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〜縄文の里のおはなし03〜

写真提供:茅野市尖石縄文考古館
長野県には、国に認定された特別史跡が一つ、史跡が37あります。特別史跡は前回ご紹介した尖石石器時代遺跡。史跡も茅野市には上之段石器時代遺跡、駒形遺跡の2つがあり、縄文時代の様子を今に伝えています。今回は、茅野市にある2つの史跡をご紹介します。
◆史跡 上之段石器時代遺跡
蓼科山の南麓、標高約1000mの玉川左岸に位置する遺跡。この地域は豊富な清水と恵まれた地形環境だったことから、縄文時代のほぼ全期間において、人々の生活の場として利用されてきました。
昭和11年(1936年)、宮坂英弌によって発掘調査が行われ、地表下80cmから縄文時代中期の立体的把手と石囲炉址(ろし)が発見されました。炉址とは囲炉裏の跡のことです。また、炉址の東側には敷石があり、縄文時代後期の薄手土器、土偶の足、朱塗りの滑車型耳飾りが発掘されました。さらに、縄文時代早期の押型文土器、前期の繊維土器、諸磯式土器、中期の勝坂式土器、加曽利E式土器、後期の堀之内式土器、加曽利B式土器、晩期の亀ヶ岡系(大洞式)土器なども出土。中でも縄文時代晩期の土器は豊富で、中部山岳地帯の縄文時代後期末から晩期の様子を明らかにするのに役立つ重要な遺跡となっています。
また、日本で有数の黒曜石産地の和田峠や星糞峠(ほしくそとうげ)に通じる経路の入り口に位置することから、特に石鏃が多量に採集される遺跡として知られています。
上之段石器時代遺跡は、昭和17年(1942年)に尖石遺跡とともに国の史跡に指定されました。

写真提供:茅野市尖石縄文考古館
◆史跡 駒形遺跡
標高910m、八ヶ岳西南山麓に広がる遺跡。これまでほとんど地形を変えることなく保存された遺跡で、昭和36年(1961年)から平成27年(2015年)まで15回の発掘調査において、縄文時代の竪穴住居址106軒と多数の土坑(貯蔵穴・柱穴・墓穴)が発見されました。そのほか、旧石器時代の遺物や平安時代の住居址、中世の遺構などが見つかり、遺物の宝庫として知られています。

写真提供:茅野市尖石縄文考古館
また、霧ヶ峰の良質な黒曜石の原産地に近く、黒曜石の集積・加工・搬出に関与していた集落跡と推定され、当時の石器製作技術や交易の実態を知る上で重要な遺跡だとして、平成10年(1998年)に国の史跡に指定されました。平成27年(2015年)には一部が追加指定され、史跡指定範囲は31426.12㎡に。さらに、平成30年(2018年)に日本遺産ストーリー『星降る中部高地の縄文世界-数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅-』の構成文化財の1つに認定されました。
→次回も茅野市にある遺跡をご紹介します。