お知らせ
〜春のビーナスラインのおはなし 01〜

「親湯入口というバス停から、ヴィーナスライン(ママ)を外れて一本道を下りてゆくと、道の左下方に川が流れ、川の向こう岸にお城のように聳えているのがホテル親湯であった」
瀬戸内寂聴の小説『ここ過ぎて 白秋と三人の妻』の一節です。蓼科 親湯温泉へと続くビーナスライン。女神という美しい名前をもつ道はどのように誕生したのでしょうか。

ビーナスラインは、長野県茅野駅近くにある御座石神社交差点から上田市の美ヶ原高原美術館まで、全長約76kmの観光道路です。平均標高1,400m、八ヶ岳中信高原国定公園の高原地帯を通るルート上には、蓼科高原、白樺湖、車山高原、霧ヶ峰、八島ヶ原湿原、美ヶ原高原といった観光地が点在。森林や高原地帯をワインディングロードで抜け、アルプスの山並みや高山植物の群落などの絶景を眺められることから、日本を代表する観光山岳道路として知られています。

ビーナスラインが現在の姿になるまでには長い歳月がかかりました。元々、この地域は交通の便が悪く孤立しやすい場所でした。戦時中は茅野駅から鉄鉱石を運ぶために鉄道が敷かれていましたが、終戦とともに廃止に。その線路後に造られた道路がビーナスラインでした。

昭和38年(1963年)に茅野市街から蓼科湖まで、その後順次路線が延びて、昭和56年(1981年)に美ヶ原まで全線が開通しました。現在は無料ですが、開通当初は有料で、7~8ヶ所の料金所を設置し、建設費用を賄っていました。昭和61年(1986年)から順次無料になり、平成14年(2002年)には全線が無料開放されました。

名前は、昭和43年(1968年)に公募で決定したもので、かつて歌人の伊藤左千夫がビーナスラインから蓼科山を望み、「信濃には八十の群山ありといへど女の神山の蓼科われは」と詠ったことから、女神=ビーナスとしたといわれています。

ビーナスラインは、観光スポットが点在する蓼科エリア、白樺湖・女神湖エリア、霧ヶ峰・八島・車山エリア、和田・姫木平・鷹山エリア、美ヶ原・武石エリアがあります。霧ヶ峰と和田峠の中間地点にある八島ヶ原湿原駐車場から美ヶ原までは毎年冬季閉鎖され、今年は4月22日11時に解除される予定です。季節によってさまざまな表情を見せてくれるビーナスライン。木々が芽吹き、花々が色づく心地のよい春はすぐそこです。