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〜瀬戸内寂聴のおはなし02〜

作家としてデビューするものの『花芯』が酷評され、文芸雑誌からの執筆依頼がなくなった瀬戸内晴美(後の寂聴)。けれども『講談倶楽部』『婦人公論』その他の大衆雑誌、週刊誌等で作品を発表していました。昭和34年(1959年)には、同人誌『無名誌』に『田村俊子・東慶寺』の連載を開始。並行して『東京タイムズ』に初の長編小説『女の海』を連載。さらに、翌年には、『田村俊子』が『文学者』に、昭和37年(1962年)には、『かの子撩乱』が『婦人画報』に連載されるなど、晴美の実力は少しずつ認知されるようになっていきました。

転機となったのは、昭和37年(1962年)に『新潮』に発表された『夏の終り』です。これは、晴美自身の経験をもとに、年上の男性(モデルは作家の小田仁二郎)、年下の男性(モデルは元夫の教え子)との不倫関係や三角関係に苦悩する女性を描いたもの。翌年には、夏の終り』で第2回女流文学賞を受賞。また、『夏の終り』連作といえる『みれん』『雉子』『あふれるもの』『花冷え』『けものの匂い』を含む短編小説集を出版しました。

その後は、作家という地位を確立し、自伝小説『いずこより』や純文学にしぼって『遠い声』『おだやかな部屋』など数々の小説を発表。その間、昭和41年(1966年)作家の井上光晴と高松市での講演に行く車中で出会い、恋愛関係になります。井上光晴は既婚者であり、その関係にも悩み続けた晴美は、昭和48年(1973年)に、井上との関係を絶つために修道女になろうとしたり、出家しようと試みました。けれども、複数の施設から断られ、最終的に岩手県の中尊寺で出家し、寂聴となりました。のちに、井上と晴美との関係を題材に井上の子である井上荒野が小説『あちらにいる鬼』を執筆。映画化もされました。

昭和49年(1974年)、比叡山横川の行院で60日間修行し、京都嵯峨野で寂庵と名付けた庵を結びました。その後も精力的に作家活動を続け、同年に自伝『いずこより』、昭和57年(1982年)に『インド夢幻』などの作品を発表。平成10年(1998年)には、75歳で『源氏物語』現代語訳を成し遂げて「源氏物語」ブームを起こしました。

また、平成4年(1992年)には『花に問え』で谷崎潤一郎賞を、平成7年(1995年)には、『白道』で芸術選奨文部大臣賞を、平成13年(2001年)には『場所』で野間文芸賞を、平成23年(2011年)には、『風景』で泉鏡花文学賞と、数々の賞を受賞しました。平成18年(2006年)、84歳のときには文化勲章を受章。そして、令和3年(2021年)に永眠しました。

激動の人生を歩んできた瀬戸内寂聴は、出家後、週末には青空説法(天台寺説法)として法話を行うなど、僧としての活動も熱心でした。また、平和を守る活動にも尽力。亡くなる直前まで「書くことは生きること」とペンを離さなかったといいます。
→次回は瀬戸内寂聴と蓼科についてご紹介します。