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2024.09.27

〜蓼科 親湯温泉よりお届けする今月の1冊〜

『斜陽』

太宰治の小説『斜陽』は『新潮』に発表された中編小説です。書かれたのは、終戦間もなくの頃である昭和22年(1947年)のこと。戦時中、太宰は青森県にある生家・津島家に疎開し、終戦もそこで迎えます。そして農地改革が発表されると、大地主だった津島家も改革の対象なりました。がらんとした、家の様子を見た太宰はチェーホフの『桜の園』のようだと嘆き、この経験から太宰は、自身の実家をモデルに日本版『桜の園』の執筆を決意したといわれています。

主人公のかず子のモデルとなったのは、太宰の愛人の一人である太田静子です。太宰は『斜陽』を書くにあたって、静子の日記を借用していました。作品に登場する小説家・上原二郎は太宰、かず子の弟である直治は太宰自身、静子の弟と、重なる部分が多いのもそのせいかもしれません。

『斜陽』が発表された年には、静子は太宰の子を妊娠・出産します。その影響もあってか、終盤は『桜の園』とは異なり、実際の静子の人生が投影されているといわれます。

作品の中でかず子は自分たちのことを「道徳の過渡期の犠牲者」と呼びます。そして古い道徳に勝ち、革命を起こして子どもを得たと誇ります。当時、シングルマザーで子どもを育てることはとても大変だったことは間違いありません。現に静子も太宰の子を産んだことで、親類縁者から絶縁され、苦労をしたようです。

「私生児と、その母。けれども私たちは、古い道徳とどこまでも争い、太陽のように生きるつもりです。」

これは、没落貴族の悲劇を描いただけでなく、戦後の混乱期に女性が一人でお腹の子どもと生き抜こうとする、これまでにない女性の姿を描いた作品としても評価されています。

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