お知らせ
2024.08.28
〜蓼科 親湯温泉よりお届けする今月の1冊〜
『吾輩は猫である』
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。」
誰もが知っている有名な書き出しです。『吾輩は猫である』は夏目漱石が初めて書いた長編小説です。猫の目線で、人間の暮らしを俯瞰し、その滑稽さ、醜さ、愚かさを語るという、日本文学の中ではそれまでにない手法を使った小説でした。
漱石が初めて小説を書いたのは38歳のころ。この時期の漱石はイギリス留学で神経衰弱となり帰国し、帝国大学の講師となっていました。執筆のきっかけとなったのは、俳句雑誌『ホトトギス』の仲間である高浜虚子の助言でした。当時、虚子や伊藤左千夫は小説を書き、『ホトトギス』に掲載。特に左千夫の書いた『野菊の墓』は漱石も絶賛したといいます。
『吾輩は猫である』は、明治38年に『ホトトギス』に発表され、好評のため翌年まで連載。『ホトトギス』の売り上げも大きく伸ばし、俳句雑誌ではなく文芸雑誌としても知られるようになりました。このことから、漱石は小説家として生きることを決め、その後も立て続けに名作を生み出しました。
久しぶりに読み返してみると、やはりそのおもしろさに驚かされます。ユーモアがあり、時々棘があり、大した事件や事故は怒らないけれど、当時の人達の生活、そして、漱石の姿がぼんやりと見てくるのも、『吾輩は猫である』が未だに愛されている理由ではないでしょうか。
漱石に小説を書くことを紹介した虚子は、なんと蓼科 親湯温泉にも訪れ、
「我が宿の親湯はここぞ薄紅葉」という句を残しています。
もしかしたら、虚子と漱石の間でも蓼科の話がされていたのかもしれません。