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〜小津安二郎監督のおはなし 03〜

蓼科の自然と人と酒に魅せられ、自らも山荘「無藝荘」を構えた映画界の巨匠 小津安二郎。『蓼科日記抄』や小津自身の日記(『全日記 小津安二郎』に収録)には、仕事のパートナーであるシナリオライター野田高梧とともに脚本を生み出す様子や、俳優や映画監督といった映画人たちを招き、そして地元の人たちと交流しながらの伸びやかに暮らす様子が描かれています。

現在の蓼科 親湯温泉である「親湯(親湯温泉ホテル)」は、小津や野田の散歩道にあり、立ち寄って入浴を楽しむほか、東京から訪れた友人の宿泊に利用したり、小津自身も宿泊していました。また、シーズン時などは予約がいっぱいなこともあり、(残念そうに)他の宿と分かれて宿泊したことなども『蓼科日記抄』にも書かれています。

昭和三十六年四月二十八日(金) 「――九時、机君、迎いに来て藤本金子の両氏と小津君、それに成子ちゃんアコちゃん親湯へ泊りに出かける。」と野田が書いたと『蓼科日記抄』にあり、この時の様子は『全日記 小津安二郎』にも以下のように記されています。「雨上る 午後東宝藤本 金子くる 野田邸にて会食のち親湯にいく」
また次の日にはMEMOとして「親湯旅館<夕映の間> 風呂ありてよし <展望の間> 展望可(佳)なり」との記述もあり、小津は「親湯」のなかでも眺めのよい二階の「夕映の間」が特に気に入っていたことが分かります。

昭和三十七年七月廿五日(水) 「――新藤夫人と次郎と銀子の両児、それに次郎君の友達来蓼。一旦親湯「夕映の間」に落着き、午後、挨拶にくる」『蓼科日記抄』にも「夕映の間」について野田が記しています。新藤夫人とは、野田や小津と交流の深かった新藤兼人監督の妻のこと。新藤も初めて蓼科を訪れ、「親湯」に泊まったときの感動を以下のように綴っています。

昭和三十六年十一月二十五日(土) 「七時親湯温泉のいちばん奥の部屋で目が覚める。いい天気だ。まだ陽は当たらないが、 向こうの山脈にはもう太陽が当っている。 きのう、はじめて蓼科を訪れた。以前から野田さんに一度くるようにいわれていたのでいつかは訪れようと思っていたが漸く目的を達しることができた。すばらしい所だ。拓かれていな〔い〕感じがいい。」また、新藤はこのときに「夕映の間」に滞在したのかは不明ですが、滞在がことのほか心に残ったのでしょうか、その後も野田に予約を依頼して何度も「親湯」に宿泊していました。

その他、俳優の佐田啓二や笠智衆をはじめ多くの映画人が小津や野田を訪ねて訪れた蓼科。その際に宿泊した「親湯」は、蓼科の魅力の一つとして小津だけでなくたくさんの人々に愛されていたことが分かります。

次回は、蓼科の映画祭や蓼科 親湯温泉における小津のプロジェクトについてご紹介します。

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