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蓼科山のおはなし01


深田久弥の『日本百名山』にも選ばれた蓼科山は、長野県の中央部、八ヶ岳連峰の北端に位置する、標高2,530mの火山です。諏訪の方から見ると、富士山のような円錐型の姿に見えるため、諏訪富士と称されていました。また、この山容から飯盛山とも、鷹が住んでいたことから鷹居が高井となって高井山とも呼ばれていました。蓼科の名も「蓼」は立つ、急斜面の意味をもち、「科」は傾斜地、斜面などの意味から円錐形の形を指していると考えられています。さらにかつては、浅間山を北岳、蓼科山を南岳と呼び、東信州の名山として知られていました。

蓼科山は100万年以上前の古い噴火活動でできた円錐状のコニーデ型火山の上に、数万年前にトロイデ型火山が噴出してせり上がってできた二重式火山です。中腹までは森林帯であるのに対し、山頂直下の高度差100mほどの区間は溶岩の岩塊が積み重なる急勾配が続きます。山頂は直径約100mの円形で、岩塊に埋めつくされ、噴火口跡がわずかにくぼみ、火山であったことを感じさせてくれます。そして、そのくぼみには、蓼科神社 奥宮の石祠が祀られています。
森林が育たない頂上には、360度ダイナミックなパノラマが広がります。蓼科山は八ヶ岳連峰の他の山々から少し離れているため、八ヶ岳連峰、浅間山、霧ヶ峰、美ヶ原、北アルプスなど、贅沢な絶景を存分に楽しめます。

蓼科山の麓には蓼科高原が広がっています。蓼科高原の標高は900m~1,800m。この辺りは、古来から茅野周辺にある山麓各村各区の「山」と呼ばれる入会地でした。開拓が始まったのは江戸時代のことで、数百年にわたって採草地などとして使用されていたため、ほぼ全域が草原でしたが、明治時代の国策による営林推進と、昭和時代の急速な観光地化によって森林化が進行しています。

蓼科高原の名前が全国的に知られるようになったのは、結核患者などの虚弱児童の健康保養として、文部省が「親湯(現在の蓼科 親湯温泉)」、「滝の湯」、「小斉温泉」、「高原ホテル」、「美遊喜館」が集中して立地する湯川山の栂ノ木平(現在のプール平)周辺を高山保養地に指定した昭和3年(1928年)のことです。
その後、急速に観光開発が進み、湿度が低く、夏でも涼しい蓼科高原は避暑地としても人気を集めました。一方、蓼科山は昭和39年(1964年)に刊行された『日本百名山』に掲載されたことにより注目され、多くの登山客で賑わうようになりました。
蓼科高原あっての蓼科山の感動があると『日本百名山』にも書かれているように、蓼科山の魅力には、蓼科高原にある自然の景色や温泉、人との触れ合いなどが含まれていることが分かります。

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