主の独り言

2015.04.01

人生の午後に入る前に見ると決めていた映画

30代最後の日にこの映画を見ると決めていた。
“映画 ファウスト”
ゲーテの不朽の名作を
ロシア映画界の巨匠が 映画化した話題作だ。
40才からの危機の事は、
ユングは、人生の正午と言い
レビンソンは人生半ばの過渡期と言い
日本では厄年としても有名である。
ユングの良く引用される一節にこの様な言葉がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「太陽は、予測しなかった正午の絶頂に達する。
予測しなかったというのは、 その一度限りの個人的存在にとって、
その南中点を前もって知ることができないからである。
正午12時に下降が始まる。しかも、この下降は午前すべての価値と
理想の転倒である。 太陽は、矛盾に陥る。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
要するに太陽が昇る午前中の構造(30代までの人生構造)

太陽が沈む午後の構造(40代からの人生構造)
これが、正午という約40才を境に
大きく変わることを言っている。
正午までの太陽が昇る時の価値観は
太陽が沈み始める構造にはマッチせず、
そのままの価値観を持ち続けると、
ユングが言う“太陽は、矛盾に陥る”
という危機的状況に遭ってしまうのである。
レビンソンは、 様々な人種、
様々な地位を初めとしてた様々な人の人生を
構造的に研究した心理学の権威である。
レビンソンについては、
2年前ブログに書いている。
http://www.tateshina-shinyu.com/blog/?p=5673
下記、抜粋して記載する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
レビンソンは、人の人生は個性的で
全く違うように見えるが、実は構造は同じである事を見つけた。
(男性のみサンプル)
そして、私も38才という年齢になり
考えさせられる現象が節目の時期にあった事を再確認した。
さらに言えば、私の友人や知人にも。
例えば、 節目として“過渡期”という言葉を使いながら
彼は人生を構造化している。
17才から22才が成人への過渡期
40才から45才までが人生半ばの過渡期
60才から65才が老年への過渡期
など。
過渡期というのは、それまでのライフサイクルが
新たなライフサイクルへと移り変わる節目の時期を
彼は過渡期と表現している。
そして、新たなライフサイクルに
平穏に移行する人と
大事件と共に移行する人と
居ることを発見する。
過渡期はとにかくいろいろあるそうだ。
ライフサイクルは
生育歴はそれぞれ違っても
ある年齢に達すると来るモノであろうとレビンソンは言っている。
そして、私はもうすぐ“人生半ばの過渡期”を迎える。
この過渡期を迎えるに当たっては
2年前から準備しているが
果たして大きな事件無く超えられるかどうか・・・
正直不安である。
レビンソンは“私は大丈夫”
という人ほど過渡期で大きな災難に見舞われる事を示した。
過渡期とは、価値観の逆転を意味する。
ユング的に解釈すれば、
影や元型の復讐。
今まで生きられなかった反面を認識し
折り合いをつけることが
過渡期を迎える為の“準備”であると私は理解している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2年前のブログだ。
レビンソンのことを書いて、
40才に向けての準備をしていた事がわかる。
あれから2年・・・
僕なりには、やれる事は全てやったと思っている。
そして、30代よりも40代の方が
さらに楽しくなりそうな予感も強く感じている。
とにかく、40才というのは
人生構造の大きな転換点であるといえる。
これについては、個人がどー考えるかだけだが
僕は、ユングやレビンソンを踏襲したいと
考えている。
そして、40才を前にした
記念すべき1日。
僕は、
30代最後の日に“映画ファウスト”を
見ると決めていたのである。
なぜファウストか・・
今月も、文庫のファウストは読んだ。
記憶では3度目だと思う。
文庫では味わえない映像美を見ながら
ゲーテのファウストの世界に浸りたいと
切に考えたからである。
ファウストの世界は、
生きる目的を問う。
人間という生物を問う。
善悪を問う。
我々人類に対して大きな問いを投げかけるのである。
不朽の名作たる所以はここなのだろう。
人生の正午である40才。
人生半ばの過渡期である40才。
この40才を前にして、
映像美でファウストを見るというのは
僕に取っては大切なイニシエーションとなるだろう。
■追記
レビンソンは、人生半ばの過渡期になすべき課題を挙げている。
1、若い時代(今まで)を振り返って再評価する事。
2、それまでの人生で不満が残る部分を修正する事。
3、新しい可能性を試してみる事。
4、人生の午後に入るに当たり、生じて来た問題を見つめる事。
レビンソンは、多くの人の人生を構造化して
人生半ばの過渡期をスムーズに越えられた人の
共通項を抜き出して課題としたのだろう。
この様な知識があったお陰で、
特に1と2についてはここ数年相当に取り組んできた。
その結果が、今と言う僕なのだが
僕的には、
“何とか間に合った”
これが正直な感想である。
ただ、今後40才に入ったら
1〜4をゆっくりと考える必要性を感じている。
妻、子供を置いて一人でどこか南国に行って
数日、人生の吟味をしてみたいと
本気で考えている。

Category

Archive